ゆんの日記

さまざまな日記

嵐というエンタメを見た

すごいものを浴びた、最大のエンタメだったな〜

 

嵐の映画みてきたけど、嬉しくもなったし寂しくもなったし、楽しくもなってどうしようもなく悔しくなった。

 

正直、嵐が休止してから嵐という媒体に触れなくなったし、私の中の存在意義も小さくなっていっていた。だから正直嵐の映画見るのがとても怖かった。

 

どんな感情になるかな、寂しい気持ちになるかな、不安なまま、ろくに一年弱嵐に触れてない状況で見に行った。

 

一曲目の感謝カンゲキで私はとても寂しくなった。こんなに素敵なものに今触れ合えなくて寂しかった。2曲目、3曲目と大好きな歌ばかり聞こえてきて、久しぶりに嵐に触れたせいもあってか、とても新鮮に聞こえた。

 

そして、曲を聴きながらフォロワーとひたすら遊んだこと、嵐に会いに遠征したこと、旅行したこと、全部を思い出して誰もがなによりも楽しい思い出で、この思い出にもう戻れないことがとても悔しかった。

 

この一年弱、嵐というものから離れいろいろなサブカルに手を出していただけの日々で、本当に本当に久しぶりに心躍らされた。

 

エンタメの正解って、これじゃん

 

下衆な笑いをネタにするラジオ、キラキラしてるけどいまいち売れない、最近の流行りっぽい曲

どれをとってもなんだかイマイチだったのに、求めていたエンタメの全部の正解を叩きつけられたようなライブで本当に驚いた。

私が嵐から離れるという行いをしたら気づいてなかった素晴らしさだと思った。

 

同時に、嵐は、完璧すぎてこわいとも思った。人間はどこか欠けていてこそ人間味があると思う。だけど久しぶりに見た嵐は完璧すぎた。完璧すぎるのに、凡人らしい、なのにどこか別の次元にいるような、不思議な感覚だった。

 

嵐の曲は誰もが聞いたことがある、嵐がすきだろうがなかろうが小さい時から聞いてきた曲なのだ。走馬灯のように思い出が蘇ってくるし、ここ最近聞いた中でもダントツで曲がいい。曲が良質で、可笑しいほどに王道ポップスで、誰もが好むような音楽で、なんでこんなに屈託もなく素敵なのだろうと、心底思った。

 

映画を見ながら、ずっと何故嵐はエンタメとして最高峰なのか考えていた。まず、本当に驚くほど演出がいい。単純にカッコいいとかスマートだけではなく、そこにわかりやすさが存分に含まれてる。とてもわかりやすい、本当、ビビるくらいわかりやすい。わかりやすくて、カッコ良くて、スタイリッシュで、死ぬほどダサくて、幼さがあって、引くほどダサいのにカッコいい。

何事も飄々としてカッコいいだけではダメで、王道で国民的であるには死ぬほどダサいのにかっこよくないといけないのだと感じた。嵐はそのバランスが上手すぎる。死ぬほどダサいものは演出がダサいのに曲がカッコいいし、曲がダサいのは演出がカッコいい。その振り幅が極端ではなく、驚くほど普遍的に感じさせるくらい違和感がなくキャッチーなのだ。まるでインパクトのある馴染みの広告を見ている気分だった。

 

嵐の楽曲は何よりも小学生や幼稚園でも歌えるような曲が多くそれが幼稚すぎず楽曲としての質の良さがあるものが多い。ハダシの未来とかGUTS!とか。

それにダンスナンバーやバラード、様々なパートが絶妙な尺とバランスで成り立ってて飽きない。てか一回わざと飽きさせるターン作ることでよりグッと引き込むようにしてない?とか思う。

 

嵐はエンタメなんだ、てそう思った。彼らは1人の人でありながらキャラクター性が高すぎる。人間なのに偶像みたいな、嵐というエンタメを背負ったプロ集団の人間。

 

そんな彼らが人間として個性を発揮する場面で、やっとようやく嵐を応援し続けていた頃の感情を思い出せた気がした。

 

翔くんのピアノ、久しぶりに見たらあまりにも暴力的でびっくりした。不器用が全部出てる弾き方で、あまりにも雄。

強く弾くことは殴ること、弱く弾くことは平手打ち、みたいな暴力的な強弱のつけ方ととても繊細とはいえないメロディーに(めちゃくちゃ褒め言葉なので誤解なきよう)、最近テレビでは見ない雄の櫻井翔というものをめちゃくちゃ感じて静かに興奮した。

楽譜に大量の殴り書きの跡。あのスケジュールでここまで力強くもしなやかな、まさに櫻井翔にしかできない演奏にしたてあげたと思ったら彼が弾き終わるまで息が出来なくて、翔くんと同じタイミングで私も大きく息を吐いた。

 

潤ちゃんの指揮は邪念なく見たのが初めてだったのでこれまた新たな発見があった。松本潤という人間はどこまで勉強熱心なんだと心底驚いた指揮だった。たくさんの指揮者をみて勉強しないとできない動きだった。肩甲骨の動き方、細やかな指先のしなりと大きな体の動きのコントラスト。全て努力したことが背中からひしひしと伝わってきて圧巻だった。

 

と思いながらファルハーマジック潤ちゃオーケストラだね🎶ででにーらんどみたいで好き🎶とか思ってたので頭回ってんのか回ってないのかわからなくて爆発するかと思った。

 

呑気なこと考えてオーケストラの音楽に引き込まれて文字通り夢の中にいる気分になったら突然の砂嵐。突然夢から引き戻され、これは嵐のエンタメであると言わんばかりのぶつ切り。最高。これがセンスか、、、と脱帽。

 

先ほどの櫻井翔の暴力的な演奏と対比するかのような超繊細な大野智のダンス。大野智のダンス自体はとても細やかでゆらりとしているのに合わせる音楽がこれでもかというような猛々しいEDM。その融合が絶妙なバランスを保っていて、嵐は本当甘いとしょっぱい合わせるの上手いよね〜とか思ってた。

 

嵐のA・RA・SHI歌う前の20周年を振り返る映像大好きなんだけど、本当ド王道エンタメにダサすぎるゴシック体、嵐はもう生活の中に当たり前のように溶け込んでいたことを思い知らされる感覚だった。本当ダサいとセンスの紙一重が上手いよな〜と思ってたらクソでか立体ゴシック体で「ARASHI anniversary tour 5x20(ドデカ)」ドーン!!!キラキラキラ〜.....ティキソウソウ...

って始まってあまりの王道さとダサさが絶妙すぎて笑った。最高にエンタメど真ん中だよ。

 

本当嵐はこの歌を20年間歌い続けてきたんだな〜後ろの再現映像、茶目っ気あって大好きだな〜ほんと努力の賜物だよな〜とか思ってたら潤ちゃんのお尻がぷりぷりすぎて思考全部飛んだ。

 

あでい、久しぶりに聴いたけどやっぱり大好きで、あでいのイントロ聴いた瞬間に脊髄反射で「死ぬ直前に聴く曲はこれにしよう」と思った。

一曲、一曲にいろんな想いがあって、それを思い出しながら好きという感情を更新していた。

 

本当だんだん見てくと嵐を追ってたときの何もかもが好きで、彼らが真っ直ぐでいてくれたから私も真っ直ぐ愛せたんだなと思った。推してて若干のストレスになることがあっても、それよりも彼らがなによりも好きという愛の方が深かった。ずっと真っ直ぐで、たくさんのものをくれた。

 

こんなに素敵な最高のエンタメを今現在触れられないことがすごく寂しかったし、彼らが当たり前のようにやってることがどれだけクオリティの高いものだったかを映画を見た瞬間思い知らされた気がした。それはこの一年弱見てきたエンタメに私が救われなかったからということもあったと思う。結局何も背徳感無く愛することができるのが、嵐しかないんだと思ってしまった。代わりを見つけるのは無理なことだと知ってしまった。

 

嵐はステージに立つ時、尋常ではないプロ集団で真っ直ぐで完璧なのに普通だった。完璧なのに遠くにいる感じがしない。ダンスをしている嵐も、ふざけている嵐も、全部大好きだと思った。笑ってる5人を見るのが何よりも私にとって幸せでした。嵐に出会えて幸せでした。